平成の象徴 イチロー様へ
昨日、午前0時、イチローが引退記者会見を行った。
このブログにおいても「イチローの背中」「イチローおめでとう」という投稿を節目節目で行ってきた。引退がどのような形になるのか2011年のころから注目していた。やっとその日が訪れたのである。打席は凡退、最後の花ではない。
清原の時もそうであったが、嘗てのヒーローが三振で終わっても一生懸命に最後まで戦う姿はとても心を打たれる。多くの日本人もそうに違いない。
イチローが入団した時、私は大学を卒業して会社へ入社した。
ありがとうというか、彼を通して自分を見つめたことは何千回もある。私も五十路を超え、バブル時代を経て苦悩してきた仕事人生を見つめてきた。
本人にそのつもりはなくても世界中の人が手本にしたいと一度でも思ったことはあるのではないでしょうか、あまりにストイック過ぎて可哀そうと思ったこともある。因みに私の妻はイチローのええかっこしいが好きでない。でも私は好きだ。
拝啓 イチロー様
高校野球の好きな私は愛工大名電でピッチャーというのを知っていたぐらいでオリックスに入ったことなど到底興味がなかった。その頃の自分のヒーローは清原、昔の偉人としては長嶋、王だった。人気のセリーグ、実力のパリーグと言われていたころで昭和のオジサンたちは巨人、阪神、長嶋・王のフアンが多かったことだろう。しかし、私は長いものにまかれろみたいな権威とかマジョリティーに存在しないものは置いてきぼりみたいな風潮が残る時代にあって注目していた野球選手の一人がイチローである。
私が最初に目を引いたのは仰木監督が名付けたとされるイチローという言葉であり、オールスターゲームで変なバッティングフォームの選手で活躍する何か新しいものを感じたのを覚えている。その頃からだ。阪神大震災間もない神戸球場で会社の同僚と一塁選手席で西武対オリックスを見たのを思い出す。その時はイチローもいたし、清原もいた。生のイチローはその頃からオーラが出ていた。余談であるが、一塁席のすぐ後ろにイチローの父、チチローがひっそりと一般客に交じって、観戦にきていたことである。おそらく私と会社の同僚しか知らないのではないでしょうか?こんなに有名でも一般客として観戦する姿にも何かを感じざるを得ない。
日本のプロ野球には長年興味が薄れていたが、江夏、山本、山田、長池、野茂、津田、野村、城島、衣笠、落合などが好きであった。野球というより仕事に向き合う職業人として魅力があったし、このころから球団でなく選手個人がファンとなった。無論、長島、王は父の世代で高度成長期を支えた偉人であることに変わりはない。
イチローの話に戻るが、彼が平成の象徴、自分の半生の一部とする理由には次のようなものがある。野球のプレースタイルにとどまらず現代の宗教家に見える。
- 大リーグで活躍第1号に近い野茂に続く選手としてワールドクラスで活躍できるんだという自信を彼を通して得、自分もそうありたいと思ったこと
- 毎日、ひたむきに仕事に向き合う仙人的な真摯さは年上の自分でも真似したいと思ったこと
- マスコミに流されない自分の哲学があり、誤解を受けそうな中でも普通の人間の反応として多くの日本人に共感を得たこと。また、それが平成らしいこと
- 平成に入り、日本の多くの企業がグローバル化する中で日本人の代表としてイチローと同じ日本人として自分が見られるのを感じたこと
これからも清原と同様、私の心の中ではイチローとともに生きていく。清原とイチローは似ても似つかない二人であるが、野球小僧であったことには間違いない。
イチローさん、お疲れ様でした。野球以外の人生でもっと広く貢献してもらいたいし、疲弊した日本、そして将来を担う子供に多くの共感をお願いいたします。
これまでの感謝の意を込めて、ブログでカミングアウトしたことをお許しください。
敬具
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